インザーギ・ミハイロビッチ・モンテッラ時代を振り返る

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カカニスタ22
はじめに

 先日、面白いデータを見つけました。



 『Opta』によれば、14-15シーズン以降のミランの監督の中で、平均獲得勝ち点数が最も多い人物は現在のガットゥーゾ(1.74点)らしいです。

 また、他の監督についてはモンテッラ(1.60点)、ミハイロビッチ(1.53点)、インザーギ(1.37点)、そしてブロッキ(1.33点)だそうです。


 これを見た時にそれぞれのミラン時代を思い返したこともあり、今回はせっかくなのでこの4人(ブロッキ時代は短く、語ることも少ないため実質3人)が監督を務めていた頃のミランを振り返っていこうかなと。

 基本的に主観バリバリですのでご容赦ください(笑)

インザーギ時代



 スピードスターのエル・シャーラウィとメネズを中心としたハイプレス&速攻カウンターを見せた14-15シーズン序盤戦は素晴らしいものがありました。
 縦に速く、手数をかけない攻めは当時の戦力の質に合っていましたし、1トップのメネズ(トーレスの場合もあり)が空けたスペースにシャーラウィや本田が入ってきてフィニッシュに絡むという形は非常に組織的なものでしたね。

 しかし、徐々に失速。一番の原因は、戦術的に重要な役割を果たしていたシャーラウィが怪我で離脱したことでしょうね。

 それに加えてトーレスがイマイチ適応しきれなかったこともあり、メネズへの依存が非常に高まってしまいました。


 こういった状況に対しピッポは頻繁にフォーメーションやメンバーを変えるなど、何とか改善しようとする努力は見られましたがほとんど機能せず。
 このままシーズン最後まで状況を変えることはできず、最終的に10位フィニッシュで解任されました。

 結局のところ、失敗の理由はピッポの戦術的引き出しが少なかったことに尽きるかなという印象です。当時はトップチームの監督としてのデビュー年でしたから当然と言えば当然なのですが。



ミハイロビッチ時代



 15-16シーズン序盤、ベルルスコーニ会長に強制された4-3-1-2システムでのプレー内容は非常に悪く、早くも解任の噂がちらほらされていました。

 しかし、吹っ切れたミハイロビッチ監督はシステムを変更。4-3-3を経て4-4-2になってからのチームは非常に組織的で、意外性がなくとも堅実な、まさにミハイロビッチのチームと呼ぶに相応しいものでした。

 2トップのバッカとニアンは守備時にボールをサイドへと誘導するプレスを忠実にこなし、両サイドハーフの本田とボナベントゥーラは誘導後の相手サイド選手へのプレスと躱された後のリトリート+4-4ブロックの形成のために奔走。

 ボール奪取後はニアンがキープ、スピード、ドリブルといった自身の能力を存分に発揮してチームを押し上げカウンター攻撃を機能させ、本田・アバーテのクロス、クツカの後方からの飛び出し、ボナベンのドリブルやバッカのボックス内での駆け引きなどでフィニッシュに繋げました。

 システムを4-4-2に変更した12月(実際は多少時期が前後していたかもしれません)からの13戦で6勝6分1敗という成績からも分かる通り、引き分けも多いが何より負けない堅実なチームでしたね。


 失速の原因は間違いなくニアンの交通事故による長期離脱ですね。このチームのこの戦術において欠かせない戦力だったニアン、バッカ、本田、ボナベントゥーラの4人の中でも極めて重要な存在でしたから、彼の欠場はそのままチームの成績に直結し、延いてはミハイロビッチ監督の解任へと繋がりました。



 当時のミランは、アッレグリ4年目の末期――セードルフ――序盤戦以降のインザーギ――序盤戦のミハイロビッチ―と連続で個人技に頼り切りの組織力の低いサッカーを披露していました。

 それだけに、例え守備的でビッグクラブに相応しくないサッカーと言われようとも、ミハイロビッチ監督のこのサッカーは非常に魅力的に感じましたね。

 
 そもそもミハイロビッチがミラン就任以前に高く評価されていたのはこの組織的な堅守速攻でしたから、ミランでポゼッションサッカーをさせようというのであれば完全に人選ミスでしたね。


 前半戦の4-3-1-2縛りとニアンの長期離脱がなく、始めからフロントの理解とバックアップが万全であれば……と今なお思ってしまいます。



ブロッキ時代




 ミハイロビッチ監督の後任として残りの15-16シーズンを務めました。

 会長の息のかかった人物のため、「当然ながら」4-3-1-2システムで臨みましたが機能するはずもなく勝ち点をこぼし続け、最終的に7位フィニッシュとなりました。

 失礼ながらブロッキが優秀な指揮官だとは思えませんでしたが、あのチーム状況を途中就任で何とかするのはどれほど優秀な指揮官でも極めて難しいでしょう。

 非常に気の毒でしたね…。



モンテッラ時代



 16-17シーズン、就任1年目のモンテッラはシステムを4-3-3に回帰し、ジェノアから大きく成長して帰ってきたスソを軸にした(今のミランに繋がる)チームを構築しました。

 ビルドアップ時に相手のシステムに応じてサイドバック(デ・シリオなど)を中盤に組みこみ(俗にいう偽サイドバック)、円滑なパス回しを実現させるなど、戦術的柔軟性のある戦術家らしいアイディアを披露。

 攻撃時の前線では両WGが内に絞ってCFとの距離を近くすることで1トップの孤立化を防ぎ、空いたサイドのスペースはSBが使用して幅を確保。
 明確な狙いを感じる、攻撃的かつ組織的なチームでしたね。
 

 ただし、中盤以下のポジションに彼好みの選手が少なかった(おそらくトップもでしょうが)ということもあり、ヴィオラ時代のようなポゼッションサッカーではありませんでした。

それでもロカテッリを台頭させるなどして上手く凌いだことで6位フィニッシュ。久しぶりにヨーロッパカップ戦出場権を獲得しました。



 就任2年目となった17-18シーズン。フロントの刷新と共に大型補強を敢行し、いざCLへ…!と思いきや、チームが機能せず12月を待たずして敢え無く解任。

 ターニングポイントを挙げるとすれば、やはりラツィオ戦後から始めた3バックシステムへの変更でしょうか。

 ボヌッチが来たときからある程度3バックの構想はあったとは思いますが、スタメンの半分以上が新加入選手であったため当初は連携がチグハグでしたし、そういった状況下でシステムを変えたのは悪手でしたね。

 試合中でも守備時には3バックから4バックに変更するといったように、かなりの組織力が要求される戦術を試した試合もありましたし、スソをWBで起用するかなり不可解な采配もありました。


 解任後、当時スタッフを務めていたアッビアーティが「モンテッラは誰も信用していなかった」と批判していたことからして、チームの雰囲気も相当悪かったのでしょう…。


 戦術的引き出しの多さは近年のミラン監督の中でも1番だと思いますが、残念ながらそれを遂行する選手たちの心を掌握しきれなかったみたいですね。
 この点は今の監督であるガットゥーゾとは正反対と言えそうです。



おわりに


 以上、ここまで4人(実質3人)の監督時代におけるミランをそれぞれ僕なりに振り返ってみました。

 やはり個人的には後半のミハイロビッチ・ミランが好きでしたねー。次点で一年目前半のモンテッラ・ミランでしょうか。

 彼ら3人はミランでは成功とまではいきませんでしたが、こうして振り返ると凄く楽しかった思い出(試合)もいくつかありますし、ミランを指揮してくれたことに感謝したいですね。


 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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Comments 2

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名無しのミラニスタ  

私も将来性や可能性と言う意味で
ミハイロビッチとモンテッラは期待できた監督だったと思います
特にモンテッラは若手の起用や色々な面での可能性も見せてくれただけに本当に残念だったなと
攻撃に関しては低迷期に入って以降一番柔軟性がありタクティカルだったと思います
批判も多かったですが彼の1年目の働きは本当に評価に値すると今でも思います
2年目の補強とシステムチェンジが全て裏目に出た事
そして何よりフロントや選手との亀裂でモチベーションを維持出来なかった事が悔やまれます

トッティの言ってた監督の器に関してのモンテッラ評もあながち間違いじゃなかったなと
今更ながら思います

  • 2019/01/13 (Sun) 19:43
  • REPLY
カカニスタ22
カカニスタ22  
返信

コメントありがとうございます!

モンテッラ率いるカターニャ、フィオレンティーナのサッカーは素晴らしかったですし、ミランでもその片鱗を見せることはできていましたよね。
マティやソサではなく、チームの中核を担えるもうワンランク上のレベルの選手が中盤にいれば大分違う結果になったのではないかと思います。

2年目の期待感は凄かったですからね…。
解任直前のトリノ戦?(相手はうろ覚えです)では内容も改善していましたし、、もう少しで別の未来があったような気がします。

  • 2019/01/14 (Mon) 12:13
  • REPLY