ミハイロビッチ・ミランの瓦解~失速の原因とは~
「4-4-2」システムを採用し、手堅いサッカーで勝ち点を取っていたミハイロビッチ率いるミラン。
しかし、終盤戦に急速に失速。それによりミハイロビッチは解任の憂き目に遭い、後任のブロッキもミランを浮上させるには至らずセリエA7位、コパ・イタリア決勝でもユヴェントスに敗れ準優勝でシーズン終了。
結局3シーズン連続でヨーロッパへの切符を手にすることはできませんでした。
今回は、なぜミハイロビッチ・ミランが失速したのか、その原因を考察していきたいと思います(今更とか言わないで!笑)
①コンディション不良
長いリーグ戦において好成績を残すためには、選手のコンディション維持が最も重要といっていいでしょう。
どれだけ優れた戦術があろうとも、それを遂行するのは選手です。選手が思い通りに動くことができなければ、それは机上の空論に過ぎなくなります。
そして昨季のミランの終盤戦失速の原因の一つが、主力選手のコンディション不良にあるのは確実です。
昨季ミランの快進撃を支えたバッカ、ボナベントゥーラ、本田の3選手はシーズンを通して酷使(本田は前半戦に干されていた時期がありましたが)されていたために終盤に調子を落としました。
中でもバッカの不調は著しく、エースであった彼の失速はミランの失速へと直に繋がってしまいましたね・・・。
ではなぜ選手のコンディション維持ができなかったのでしょうか?それは選手層の薄さにによりローテーションができなかったことにあるといえるでしょう。
②選手層の薄さ
とはいえ選手の数自体はそれなりに揃っていますので、厳密に言えば起用できる選手が少なかった(怪我などでプレーできない選手はもちろん、戦術的に起用できない選手が多かった)と言えるでしょうね。
例えばニアンの穴を埋めることができなかったことなどは、ミランの選手層の薄さ(起用できる選手の少なさ)を如実に物語っていましたね。
ニアンの代役にはメネズとバロテッリの2人がいましたが、両者ともに低調な出来に終始し、戦術的にもまるで機能していませんでした(ニアンの戦術的な働きについてはコチラをご覧ください)。
両サイドのボナベントゥーラ、本田の控えも実質的にプリンスたった一人。そのプリンスもコンディション不足でほとんど活躍することができませんでした。
シーズン当初は4-3-1-2システムで臨む予定であり、そのための選手陣容だったのだと思います。だからシーズン途中で4-4-2に代えたことで(戦術的な理由で)起用できる選手が少なくなり、その分主力選手に過度の負担が生じてしまったのでしょう。
しかし、ここで思い出していただきたいのが、いつ4-3-1-2のポゼッションサッカーから4-4-2の堅守速攻サッカーに方針転換したのかということです。
③ミハイロビッチへのサポート不足
4-4-2並びに堅守速攻サッカーへのシフトは、第7節ナポリ戦での大敗後あたりだったと記憶しています(厳密な時期はもう少し前後するかもしれませんが)。
つまり、戦力が明らかに不足しているサポジションに補強をする機会が1月の移籍市場であったということです。
夏に株式売却を見越して大型補強をしたにも関わらずその売却がうまくいかなかったこともあり、冬の補強は難しかったかもしれません。
しかし、最低でもサイドハーフのポジションはプリンス以外にも補強すべきだったと思います。
幸いボナベンと本田が大きな怪我をしなかったことで事なきを得ましたが、2人のうちどちらかでも長期離脱していたらどうなっていたか・・・。
ちなみに作為的なサポート(補強)だけでなく、不作為的なサポート(現場不介入)もかけていたと思います。
とまぁ最終的には上層部への批判になってしまいました(笑)
・・・ミハイロビッチ・ミランは攻撃面での華やかさはありませんでしたが、全員が献身的に動き、攻守の切り替えを早くするなど、近年のミランに欠けていた「一体感」「組織的」というものを垣間見せてくれました。
それだけに、シーズン終了まで彼にチームを率いて欲しかったです。
ちなみに自分は、ブロッキ体制になってからは忙しさもありコパ決勝しか観られませんでした(笑)
今季からはトリノでの就任が決まっているミハイロビッチ。
今季はトリノの試合もできる限り観ていきたいと思います。
最後まで見ていただきありがとうございました。
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しかし、終盤戦に急速に失速。それによりミハイロビッチは解任の憂き目に遭い、後任のブロッキもミランを浮上させるには至らずセリエA7位、コパ・イタリア決勝でもユヴェントスに敗れ準優勝でシーズン終了。
結局3シーズン連続でヨーロッパへの切符を手にすることはできませんでした。
今回は、なぜミハイロビッチ・ミランが失速したのか、その原因を考察していきたいと思います(今更とか言わないで!笑)
①コンディション不良
長いリーグ戦において好成績を残すためには、選手のコンディション維持が最も重要といっていいでしょう。
どれだけ優れた戦術があろうとも、それを遂行するのは選手です。選手が思い通りに動くことができなければ、それは机上の空論に過ぎなくなります。
そして昨季のミランの終盤戦失速の原因の一つが、主力選手のコンディション不良にあるのは確実です。
昨季ミランの快進撃を支えたバッカ、ボナベントゥーラ、本田の3選手はシーズンを通して酷使(本田は前半戦に干されていた時期がありましたが)されていたために終盤に調子を落としました。
中でもバッカの不調は著しく、エースであった彼の失速はミランの失速へと直に繋がってしまいましたね・・・。
ではなぜ選手のコンディション維持ができなかったのでしょうか?それは選手層の薄さにによりローテーションができなかったことにあるといえるでしょう。
②選手層の薄さ
とはいえ選手の数自体はそれなりに揃っていますので、厳密に言えば起用できる選手が少なかった(怪我などでプレーできない選手はもちろん、戦術的に起用できない選手が多かった)と言えるでしょうね。
例えばニアンの穴を埋めることができなかったことなどは、ミランの選手層の薄さ(起用できる選手の少なさ)を如実に物語っていましたね。
ニアンの代役にはメネズとバロテッリの2人がいましたが、両者ともに低調な出来に終始し、戦術的にもまるで機能していませんでした(ニアンの戦術的な働きについてはコチラをご覧ください)。
両サイドのボナベントゥーラ、本田の控えも実質的にプリンスたった一人。そのプリンスもコンディション不足でほとんど活躍することができませんでした。
シーズン当初は4-3-1-2システムで臨む予定であり、そのための選手陣容だったのだと思います。だからシーズン途中で4-4-2に代えたことで(戦術的な理由で)起用できる選手が少なくなり、その分主力選手に過度の負担が生じてしまったのでしょう。
しかし、ここで思い出していただきたいのが、いつ4-3-1-2のポゼッションサッカーから4-4-2の堅守速攻サッカーに方針転換したのかということです。
③ミハイロビッチへのサポート不足
4-4-2並びに堅守速攻サッカーへのシフトは、第7節ナポリ戦での大敗後あたりだったと記憶しています(厳密な時期はもう少し前後するかもしれませんが)。
つまり、戦力が明らかに不足しているサポジションに補強をする機会が1月の移籍市場であったということです。
夏に株式売却を見越して大型補強をしたにも関わらずその売却がうまくいかなかったこともあり、冬の補強は難しかったかもしれません。
しかし、最低でもサイドハーフのポジションはプリンス以外にも補強すべきだったと思います。
幸いボナベンと本田が大きな怪我をしなかったことで事なきを得ましたが、2人のうちどちらかでも長期離脱していたらどうなっていたか・・・。
ちなみに作為的なサポート(補強)だけでなく、不作為的なサポート(現場不介入)もかけていたと思います。
とまぁ最終的には上層部への批判になってしまいました(笑)
・・・ミハイロビッチ・ミランは攻撃面での華やかさはありませんでしたが、全員が献身的に動き、攻守の切り替えを早くするなど、近年のミランに欠けていた「一体感」「組織的」というものを垣間見せてくれました。
それだけに、シーズン終了まで彼にチームを率いて欲しかったです。
ちなみに自分は、ブロッキ体制になってからは忙しさもありコパ決勝しか観られませんでした(笑)
今季からはトリノでの就任が決まっているミハイロビッチ。
今季はトリノの試合もできる限り観ていきたいと思います。
最後まで見ていただきありがとうございました。
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