アンチェロッティ・ミランの2003ー04シーズンについて【レジェンドチーム回顧】
今回は「レジェンドチーム回顧」と題しまして、2003-04シーズンのアンチェロッティ・ミランについて詳細に振り返っていこうと思います。
ミランのチーム情報
まずは当時のチーム事情について概観していきます。
前年度にCLとコッパ・イタリアを制したミランでしたが、一方でリーグ戦は3位という結果に止まっていました。そこで2003-04シーズンはスクデット奪還とCL連覇チーム戦術の更なる成熟と②的確な補強による戦力強化を図りました。
後者の補強について、ミランは以下の3選手を新戦力として迎え入れています。
1人目はジュゼッペ・パンカロ。加入時点で既にカリアリとラツィオで計300試合以上に出場していた経験豊富なベテランで、両SBをこなせるマルチプレーヤーです。アルベルティーニとのトレードでラツィオからミランに移籍しました。
2人目はカフー。言わずと知れたブラジルのレジェンドSBであり、02-03シーズンまでは6年に渡ってローマの主力として活躍。同シーズン終了後に契約満了となり、日本の横浜Fマリノスへの移籍が有力視されていたものの、最終的にはミランに加入することになりました。
3人目はカカ。21歳の若手有望株として、ブラジルのサンパウロから850~1000万ユーロの移籍金でミランに入団しました。
当初、カカの獲得は将来を見越しての投資的な意味合いが強いものでしたが、周知の通り彼は加入初年度から大ブレイクを果たします。
当時より過去数年間のミランは多くの資金を投入して数々のビッグディールを成立させましたが、2003年のメルカートでは上記の通り出費を抑える方針を執りました。それでも上記3選手はいずれもレギュラーに定着し、チーム戦力は大きく向上することとなります。
それでは、彼らを加えた2003-04シーズンのミランの基本フォーメーション及びスタメンはどのようなものだったのでしょうか。

――基本フォーメーション&メンバー
上掲の通り、基本フォーメーションは「4―3-1-2」。です。
レギュラーメンバーを見ていくと、まずはGKにジダ。DFラインは右からカフー、ネスタ、マルディーニ、パンカロ。中盤はアンカーにピルロが入り、両インサイドハーフはガットゥーゾとセードルフという構成。トップ下はカカが務め、前線は基本的にシェフチェンコとトマソンが2トップを組みました。
続いては、2003-04シーズンにおけるアンチェロッティ・ミランの戦術的特徴についてです。
○積極的なボールポゼッション
前年度に花開いた「ピルロ・システム」が、当シーズンも引き続き戦術の根幹をなしました。
足元の技術がしっかりしているマルディーニ、ネスタのCBコンビからは安定してピルロへとボールが届けられ、共に中盤を構成するセードルフやガットゥーゾはそれぞれの持ち味を発揮して攻守にピルロをサポート。そのようにしてピルロの飛び抜けたレジスタとしての能力を存分に活かすことで、チームはボールポゼッションの精度を飛躍的に向上させることに成功しています。
ピルロのゲームメイクにより後方からのボールの持ち運びがスムーズになることはもちろん、中・長距離のピンポイントパスを用いて局面を一気に打開することも出来ました。
(1分24秒~:第11節モーデナ戦の一場面。裏に抜け出したシェフチェンコへピルロがピンポイントでロングパスを送る。そのままゴールに繋がった)
そして、こうしたボールポゼッションの下で攻撃陣が躍動。シェフチェンコの多彩な動き出しやシュートテクニック、カカのドリブルでの仕掛けなどを中心に、またカフーやパンカロといった両SBがタイミングの良い攻め上がりで攻撃に厚みを加え、次々とチャンスを作り出していきました。
(4分15秒~:第5節インテル戦の一場面。)

――カフーが右サイドに開いたシェフチェンコにボールを預け、インナーラップで相手ゴール前へ侵入していく

――その後の場面。ボールを持ったシェフチェンコは相手DFを1枚引き付け、そのギャップを突いたカフーにスルーパスを送ってエリア内に侵入していく。

――その後の場面。カフーからリターンを受けたシェフチェンコ。ダイナミックな崩しから、最後は左足でGKの股を抜いてゴールを奪った
先述したボールポゼッション能力がフィーチャーされやすいアンチェロッティ・ミランですが、それと同等以上に「堅守速攻」というのもまた強力な武器となりました。
ミランでの2年目を迎えたネスタとレジェンド・マルディーニのCBコンビが抜群の安定感を見せ、彼らを中心に構成された最終ラインと中盤3枚による守備ブロックは鉄壁を誇りました。それに加え、守護神ジダが最後の砦としてゴールマウスに構えます。
そして強固なディフェンスによりボールを奪った後は、カカを中心とする高速カウンターの発動です。
スピード、テクニック、インテリジェンスを兼備したカカはトランジション時に素早くスペースを見出し、後方からボールを引き出すのが上手いですし、相手にマークされていてもそれを引き剥がせる能力があります。そうしてオープンスペースへボールを持ち運んで一気に敵陣深くへと侵入し、同じくスピードのあるシェフチェンコや堅実なトマソンと協力してゴールを奪う、と。
(7分10秒~:第22節インテル戦の一場面)

――左サイドでセードルフがボールを回収し、トランジションの場面に。そしてカカが中盤のスペース(黒丸)へと素早く反応してパスを引き出す

――その後の場面。カカが相手を寄せ付けずに一気にドリブルで前進し、そのまま強烈なミドルシュートを突き刺した
カカの加入によりチームは絶対的な推進力を手に入れ、殊にそれがポジティブトランジションの局面において抜群の効果を発揮しました。この点が2003-04シーズンとそれ以前の決定的な違いといえますね。
好成績を収めるチームというのは得てして充実の選手層を誇るものであり、当シーズンのミランも例外ではありません。
主力メンバーが怪我などで欠場を余儀なくされた場合にも、準レギュラークラスの優秀な選手が代わってその穴を埋めることで安定した強さを発揮することが出来ました。
その代表例といえるのがヨン・ダール・トマソンです。
当シーズンはフィリッポ・インザーギが怪我で多くの試合に欠場したため、普段は控えに甘んじることの多いトマソンがシェフチェンコと前線でコンビを組む機会が増えました。
そんな彼の特徴は、何といっても相方に応じて役割を変えることのできる「献身性」です。
例えばシェフチェンコと組む場合、トマソンは基本的に中央でプレーします。というのもシェヴァはサイド方向に開くなどの多彩な動きを好むため。彼が自由に動き回れるようにトマソンが前線中央に構えるという事ですね。
また、シェヴァの動きによって生じた中央のスペースを活用することで、トマソンにとっても自身のゴールチャンスが増加します。この点、当シーズンの彼はチーム2位となるリーグ戦12ゴールを記録する活躍を見せ、ストライカーとしての本領を発揮しました。
一方、インザーギとコンビを組む際のトマソンの役割は少々異なります。
ピッポは中央最前線で相手CBとの駆け引きに専心するタイプの選手であるため、その代わりにトマソンがプレーエリアを広げることになる、と。ペナルティエリア周辺でスペースメイクしたり、サイドに開いて起点となったりといったプレーの量を増やします。
このように、彼はストライカーとしての堅実な能力だけでなく、自らに課せられた役割を献身的にこなすことのできる犠牲的精神を有しており、チームにとって有り難い選手であったといえますね。

また、ルイ・コスタも貴重な戦力としてチームを支えた選手の1人です。
当シーズンはカカの加入により出番を減らしたのは事実ですが、それでも公式戦41試合(2207分)に出場して3ゴール・9アシストを記録。
シーズン後半戦にはシェヴァを1トップに置き、その背後にルイコスタとカカを同時起用する「4―3-2-1」も状況に応じて使われるようになりました。

――第15節ローマ戦のスタメン
同システムにおいてはルイコスタが中盤の支配力を高めることに一役買うことで、カカは高い位置を取ったり積極的に前線に飛び出したりと、セカンドストライカーとしての役割に軸足を置いてプレーしやすくなります。このように戦術的オプションを増やす上でも、ルイコスタは貴重な存在となりました。
彼ら2人以外にも、中盤にはアンブロジーニ、最終ラインにはコスタクルタやシミッチ、更にはチームにおける貴重なサイドアタッカーとしてセルジーニョが控えるなど、サブメンバーの充実ぶりは特筆すべき点でしょうね。
さて。ここからはアンチェロッティ・ミランの2003-04シーズンにおける戦いぶりを概観していきたいと思います。
前年度のCL&国内カップを制したミランは、セリエA開幕に先立ち2つのタイトル戦に臨みました。
まず初めは、前年度のセリエA王者ユベントスとのスーペルコッパです。この一戦はスコア1-1のまま120分間を終え、PK戦の末にユベントスが勝利を収めています。
もう一つのタイトル戦は、UEFAカップ(現EL)王者であるポルトとのUEFAスーパーカップです。こちらはミランが1-0で勝利し、当シーズン初タイトルを獲得しました。
そして9月に開幕を迎えたセリエA。ミランは序盤から快調に勝ち点を積み重ねることに成功し、ローマ、ユベントスと熾烈な首位争いを繰り広げます。
他方、並行して行われたCLグループリーグも5戦1失点と鉄壁の守備を見せ、最終節を待たずして1位での決勝トーナメント進出を決めました。
そんな好調ミランにあって、とりわけ抜群のパフォーマンスを見せた選手がアンドリー・シェフチェンコです。

前年度は怪我の影響もありエースの座をインザーギに渡していた彼ですが、当シーズンは絶対的エースに返り咲きゴールを量産。自身の持ち味であるパワー、スピード、テクニック、機動力、オフザボールのクオリティといった全てを如何なく発揮し、リーグ戦では開幕から11試合で12ゴールと驚異的なハイペースで得点を重ねるなど、シーズンを通してチームを牽引していきました。
(※2003-04シーズン、セリエAでのシェフチェンコのゴール集)
さて。ミランは上記のようにして順調なシーズンを過ごしていたものの、12月に入り最初の難局を迎えることになります。
12月中旬、横浜で開催されたトヨタカップ(現クラブワールドカップ)に欧州王者として参戦したミランでしたが、南米王者ボカ・ジュニアーズに対し実力を発揮することが出来ず。PK戦の末に敗れ、世界王者のタイトルを逃してしまいました。
続くセリエA第14節のウディネーゼ戦ですが、ミランは攻守の要であるシェフチェンコ、ネスタを欠いたことやボカ戦でのショックも響いて1-2で敗北。リーグ戦での初黒星を喫してしまい、不本意な形で2003年最後の試合を終えることになりました。
2004年最初の試合は首位ローマとのアウェー戦です。
当時のローマはシーズン無敗中であり、特に本拠地スタディオ・オリンピコでは圧倒的な強さを見せていました。一方のミランはインザーギ、トマソンの両名を欠き、CFはシェフチェンコ(と若手のボリエッロ)のみでローマ戦に臨まざるを得ないことに。
苦しいチーム状況でしたが、アンチェロッティ監督は先述した「4―3-2-1」に活路を見出します。そして絶好調のシェフチェンコがドッピエッタの活躍を披露し、見事この大一番を制しました。
この勝利で波に乗ったミランは、新たに手にしたシステムも併用しながら連勝を続けます。そして1月下旬、トヨタカップにより延期となっていた第13節シエナ戦での勝利を以て、遂に首位の座を奪取することに成功。
2月以降もミランの快進撃は続き、連戦連勝を重ねて2位以下との差を広げていきました。
そんなミランにとって思わぬ伏兵となったのが、CLベスト8で対戦したデポルティーボです。
ファーストレグで4-1と大勝を収め、準決勝進出は確実視されていたミランでしたが、デポルティーボの本拠地で迎えたセカンドレグにてまさかの0-4で大敗。「説明のできない敗戦(byアンチェロッティ)」により、CL敗退を余儀なくされました。
そもそもデポルとのセカンドレグ前にはリーグ戦で2試合連続ドローを演じるなど、4月にはやや調子を落としていたミラン。
そのため、CLでの歴史的敗退はリーグ戦にも悪影響を与えるのではないかと危惧されましたが、続く第29節エンポリ戦は1-0、30節シエナ戦は2-1とそれぞれ苦戦しながらも接戦を制しています。
しっかりと持ち直すことが出来たミランは遂に32節、2位ローマを本拠地サンシーロで下すことでスクデット獲得を成し遂げました。

スクデットとUEFAスーパーカップの2冠を達成した2003-04シーズン。
トヨタカップで優勝を逃したことやCLでまさかの敗退を喫したことには悔しさが残るものの、全体的には見事な強さを発揮しました。
その結果セリエAでは他チームを圧倒し、18チーム制だった当時のリーグ最多勝ち点記録を更新しての優勝を成し遂げることができた、と。
優勝の要因としては「充実した戦力を活かし、技術的・戦術的な面で攻守ともにハイレベルなサッカーを実践したこと」が第一に挙げられますが、それ以外にも「接戦をモノにできるメンタリティ」や「アンチェロッティ監督の巧みなマネージメント」などもチームの安定に大きく寄与していたことは確かだと思います。
以上より、2003-04シーズンのアンチェロッティ・ミランは総じてレベルの高いチームだったといえるでしょうね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
目次
1.ミランのチーム情報~2003-04シーズン~
2.3人の新加入選手
3.フォーメーション
4.戦術的特徴
4-1.積極的なボールポゼッション~ピルロ・システムの成熟~
4-2.堅守速攻~鉄壁の守備と高速カウンター~
5.充実の選手層
6.2003-04シーズン概観
6-1.前半戦
6-2.後半戦
7.まとめ
1.ミランのチーム情報~2003-04シーズン~
2.3人の新加入選手
3.フォーメーション
4.戦術的特徴
4-1.積極的なボールポゼッション~ピルロ・システムの成熟~
4-2.堅守速攻~鉄壁の守備と高速カウンター~
5.充実の選手層
6.2003-04シーズン概観
6-1.前半戦
6-2.後半戦
7.まとめ
ミランのチーム情報
~2003-04シーズン~
まずは当時のチーム事情について概観していきます。
前年度にCLとコッパ・イタリアを制したミランでしたが、一方でリーグ戦は3位という結果に止まっていました。そこで2003-04シーズンはスクデット奪還とCL連覇チーム戦術の更なる成熟と②的確な補強による戦力強化を図りました。
3人の新加入選手
後者の補強について、ミランは以下の3選手を新戦力として迎え入れています。
1人目はジュゼッペ・パンカロ。加入時点で既にカリアリとラツィオで計300試合以上に出場していた経験豊富なベテランで、両SBをこなせるマルチプレーヤーです。アルベルティーニとのトレードでラツィオからミランに移籍しました。
2人目はカフー。言わずと知れたブラジルのレジェンドSBであり、02-03シーズンまでは6年に渡ってローマの主力として活躍。同シーズン終了後に契約満了となり、日本の横浜Fマリノスへの移籍が有力視されていたものの、最終的にはミランに加入することになりました。
3人目はカカ。21歳の若手有望株として、ブラジルのサンパウロから850~1000万ユーロの移籍金でミランに入団しました。
当初、カカの獲得は将来を見越しての投資的な意味合いが強いものでしたが、周知の通り彼は加入初年度から大ブレイクを果たします。
当時より過去数年間のミランは多くの資金を投入して数々のビッグディールを成立させましたが、2003年のメルカートでは上記の通り出費を抑える方針を執りました。それでも上記3選手はいずれもレギュラーに定着し、チーム戦力は大きく向上することとなります。
この年には、トップ下にカカ、左右のサイドバックにパンカロ、カフーという新戦力を獲得したことで、前年にはなかった新たな戦術的要素がチームに加わった。(中略)これによって、攻撃には幅と奥行き、そしてスピードが加わり、戦術的な完成度も大きく高まった
――カルロ・アンチェロッティ(※『アンチェロッティの戦術ノート(河出書房新社)』より抜粋)
フォーメーション
それでは、彼らを加えた2003-04シーズンのミランの基本フォーメーション及びスタメンはどのようなものだったのでしょうか。

――基本フォーメーション&メンバー
上掲の通り、基本フォーメーションは「4―3-1-2」。です。
レギュラーメンバーを見ていくと、まずはGKにジダ。DFラインは右からカフー、ネスタ、マルディーニ、パンカロ。中盤はアンカーにピルロが入り、両インサイドハーフはガットゥーゾとセードルフという構成。トップ下はカカが務め、前線は基本的にシェフチェンコとトマソンが2トップを組みました。
戦術的特徴
続いては、2003-04シーズンにおけるアンチェロッティ・ミランの戦術的特徴についてです。
○積極的なボールポゼッション
~ピルロ・システムの成熟~
前年度に花開いた「ピルロ・システム」が、当シーズンも引き続き戦術の根幹をなしました。
足元の技術がしっかりしているマルディーニ、ネスタのCBコンビからは安定してピルロへとボールが届けられ、共に中盤を構成するセードルフやガットゥーゾはそれぞれの持ち味を発揮して攻守にピルロをサポート。そのようにしてピルロの飛び抜けたレジスタとしての能力を存分に活かすことで、チームはボールポゼッションの精度を飛躍的に向上させることに成功しています。
ピルロのゲームメイクにより後方からのボールの持ち運びがスムーズになることはもちろん、中・長距離のピンポイントパスを用いて局面を一気に打開することも出来ました。
(1分24秒~:第11節モーデナ戦の一場面。裏に抜け出したシェフチェンコへピルロがピンポイントでロングパスを送る。そのままゴールに繋がった)
そして、こうしたボールポゼッションの下で攻撃陣が躍動。シェフチェンコの多彩な動き出しやシュートテクニック、カカのドリブルでの仕掛けなどを中心に、またカフーやパンカロといった両SBがタイミングの良い攻め上がりで攻撃に厚みを加え、次々とチャンスを作り出していきました。
(4分15秒~:第5節インテル戦の一場面。)

――カフーが右サイドに開いたシェフチェンコにボールを預け、インナーラップで相手ゴール前へ侵入していく

――その後の場面。ボールを持ったシェフチェンコは相手DFを1枚引き付け、そのギャップを突いたカフーにスルーパスを送ってエリア内に侵入していく。

――その後の場面。カフーからリターンを受けたシェフチェンコ。ダイナミックな崩しから、最後は左足でGKの股を抜いてゴールを奪った
○堅守速攻~鉄壁の守備と高速カウンター~
先述したボールポゼッション能力がフィーチャーされやすいアンチェロッティ・ミランですが、それと同等以上に「堅守速攻」というのもまた強力な武器となりました。
ミランでの2年目を迎えたネスタとレジェンド・マルディーニのCBコンビが抜群の安定感を見せ、彼らを中心に構成された最終ラインと中盤3枚による守備ブロックは鉄壁を誇りました。それに加え、守護神ジダが最後の砦としてゴールマウスに構えます。
そして強固なディフェンスによりボールを奪った後は、カカを中心とする高速カウンターの発動です。
スピード、テクニック、インテリジェンスを兼備したカカはトランジション時に素早くスペースを見出し、後方からボールを引き出すのが上手いですし、相手にマークされていてもそれを引き剥がせる能力があります。そうしてオープンスペースへボールを持ち運んで一気に敵陣深くへと侵入し、同じくスピードのあるシェフチェンコや堅実なトマソンと協力してゴールを奪う、と。
(7分10秒~:第22節インテル戦の一場面)

――左サイドでセードルフがボールを回収し、トランジションの場面に。そしてカカが中盤のスペース(黒丸)へと素早く反応してパスを引き出す

――その後の場面。カカが相手を寄せ付けずに一気にドリブルで前進し、そのまま強烈なミドルシュートを突き刺した
カカの加入によりチームは絶対的な推進力を手に入れ、殊にそれがポジティブトランジションの局面において抜群の効果を発揮しました。この点が2003-04シーズンとそれ以前の決定的な違いといえますね。
充実の選手層
好成績を収めるチームというのは得てして充実の選手層を誇るものであり、当シーズンのミランも例外ではありません。
主力メンバーが怪我などで欠場を余儀なくされた場合にも、準レギュラークラスの優秀な選手が代わってその穴を埋めることで安定した強さを発揮することが出来ました。
その代表例といえるのがヨン・ダール・トマソンです。
当シーズンはフィリッポ・インザーギが怪我で多くの試合に欠場したため、普段は控えに甘んじることの多いトマソンがシェフチェンコと前線でコンビを組む機会が増えました。
そんな彼の特徴は、何といっても相方に応じて役割を変えることのできる「献身性」です。
例えばシェフチェンコと組む場合、トマソンは基本的に中央でプレーします。というのもシェヴァはサイド方向に開くなどの多彩な動きを好むため。彼が自由に動き回れるようにトマソンが前線中央に構えるという事ですね。
また、シェヴァの動きによって生じた中央のスペースを活用することで、トマソンにとっても自身のゴールチャンスが増加します。この点、当シーズンの彼はチーム2位となるリーグ戦12ゴールを記録する活躍を見せ、ストライカーとしての本領を発揮しました。
一方、インザーギとコンビを組む際のトマソンの役割は少々異なります。
ピッポは中央最前線で相手CBとの駆け引きに専心するタイプの選手であるため、その代わりにトマソンがプレーエリアを広げることになる、と。ペナルティエリア周辺でスペースメイクしたり、サイドに開いて起点となったりといったプレーの量を増やします。
このように、彼はストライカーとしての堅実な能力だけでなく、自らに課せられた役割を献身的にこなすことのできる犠牲的精神を有しており、チームにとって有り難い選手であったといえますね。

また、ルイ・コスタも貴重な戦力としてチームを支えた選手の1人です。
当シーズンはカカの加入により出番を減らしたのは事実ですが、それでも公式戦41試合(2207分)に出場して3ゴール・9アシストを記録。
シーズン後半戦にはシェヴァを1トップに置き、その背後にルイコスタとカカを同時起用する「4―3-2-1」も状況に応じて使われるようになりました。

――第15節ローマ戦のスタメン
同システムにおいてはルイコスタが中盤の支配力を高めることに一役買うことで、カカは高い位置を取ったり積極的に前線に飛び出したりと、セカンドストライカーとしての役割に軸足を置いてプレーしやすくなります。このように戦術的オプションを増やす上でも、ルイコスタは貴重な存在となりました。
彼ら2人以外にも、中盤にはアンブロジーニ、最終ラインにはコスタクルタやシミッチ、更にはチームにおける貴重なサイドアタッカーとしてセルジーニョが控えるなど、サブメンバーの充実ぶりは特筆すべき点でしょうね。
2003-04シーズン概観
さて。ここからはアンチェロッティ・ミランの2003-04シーズンにおける戦いぶりを概観していきたいと思います。
○前半戦
前年度のCL&国内カップを制したミランは、セリエA開幕に先立ち2つのタイトル戦に臨みました。
まず初めは、前年度のセリエA王者ユベントスとのスーペルコッパです。この一戦はスコア1-1のまま120分間を終え、PK戦の末にユベントスが勝利を収めています。
もう一つのタイトル戦は、UEFAカップ(現EL)王者であるポルトとのUEFAスーパーカップです。こちらはミランが1-0で勝利し、当シーズン初タイトルを獲得しました。
そして9月に開幕を迎えたセリエA。ミランは序盤から快調に勝ち点を積み重ねることに成功し、ローマ、ユベントスと熾烈な首位争いを繰り広げます。
他方、並行して行われたCLグループリーグも5戦1失点と鉄壁の守備を見せ、最終節を待たずして1位での決勝トーナメント進出を決めました。
そんな好調ミランにあって、とりわけ抜群のパフォーマンスを見せた選手がアンドリー・シェフチェンコです。

前年度は怪我の影響もありエースの座をインザーギに渡していた彼ですが、当シーズンは絶対的エースに返り咲きゴールを量産。自身の持ち味であるパワー、スピード、テクニック、機動力、オフザボールのクオリティといった全てを如何なく発揮し、リーグ戦では開幕から11試合で12ゴールと驚異的なハイペースで得点を重ねるなど、シーズンを通してチームを牽引していきました。
(※2003-04シーズン、セリエAでのシェフチェンコのゴール集)
さて。ミランは上記のようにして順調なシーズンを過ごしていたものの、12月に入り最初の難局を迎えることになります。
12月中旬、横浜で開催されたトヨタカップ(現クラブワールドカップ)に欧州王者として参戦したミランでしたが、南米王者ボカ・ジュニアーズに対し実力を発揮することが出来ず。PK戦の末に敗れ、世界王者のタイトルを逃してしまいました。
続くセリエA第14節のウディネーゼ戦ですが、ミランは攻守の要であるシェフチェンコ、ネスタを欠いたことやボカ戦でのショックも響いて1-2で敗北。リーグ戦での初黒星を喫してしまい、不本意な形で2003年最後の試合を終えることになりました。
○後半戦
2004年最初の試合は首位ローマとのアウェー戦です。
当時のローマはシーズン無敗中であり、特に本拠地スタディオ・オリンピコでは圧倒的な強さを見せていました。一方のミランはインザーギ、トマソンの両名を欠き、CFはシェフチェンコ(と若手のボリエッロ)のみでローマ戦に臨まざるを得ないことに。
苦しいチーム状況でしたが、アンチェロッティ監督は先述した「4―3-2-1」に活路を見出します。そして絶好調のシェフチェンコがドッピエッタの活躍を披露し、見事この大一番を制しました。
この勝利で波に乗ったミランは、新たに手にしたシステムも併用しながら連勝を続けます。そして1月下旬、トヨタカップにより延期となっていた第13節シエナ戦での勝利を以て、遂に首位の座を奪取することに成功。
2月以降もミランの快進撃は続き、連戦連勝を重ねて2位以下との差を広げていきました。
そんなミランにとって思わぬ伏兵となったのが、CLベスト8で対戦したデポルティーボです。
ファーストレグで4-1と大勝を収め、準決勝進出は確実視されていたミランでしたが、デポルティーボの本拠地で迎えたセカンドレグにてまさかの0-4で大敗。「説明のできない敗戦(byアンチェロッティ)」により、CL敗退を余儀なくされました。
そもそもデポルとのセカンドレグ前にはリーグ戦で2試合連続ドローを演じるなど、4月にはやや調子を落としていたミラン。
そのため、CLでの歴史的敗退はリーグ戦にも悪影響を与えるのではないかと危惧されましたが、続く第29節エンポリ戦は1-0、30節シエナ戦は2-1とそれぞれ苦戦しながらも接戦を制しています。
しっかりと持ち直すことが出来たミランは遂に32節、2位ローマを本拠地サンシーロで下すことでスクデット獲得を成し遂げました。

まとめ
・セリエA
1位(25勝7分2敗)
勝ち点82(2位と11差)
・CL
ベスト8
・コッパ・イタリア
ベスト4
・特記事項
UEFAスーパーカップ制覇
シェフチェンコがセリエA得点王を獲得(24得点)
スクデットとUEFAスーパーカップの2冠を達成した2003-04シーズン。
トヨタカップで優勝を逃したことやCLでまさかの敗退を喫したことには悔しさが残るものの、全体的には見事な強さを発揮しました。
その結果セリエAでは他チームを圧倒し、18チーム制だった当時のリーグ最多勝ち点記録を更新しての優勝を成し遂げることができた、と。
優勝の要因としては「充実した戦力を活かし、技術的・戦術的な面で攻守ともにハイレベルなサッカーを実践したこと」が第一に挙げられますが、それ以外にも「接戦をモノにできるメンタリティ」や「アンチェロッティ監督の巧みなマネージメント」などもチームの安定に大きく寄与していたことは確かだと思います。
以上より、2003-04シーズンのアンチェロッティ・ミランは総じてレベルの高いチームだったといえるでしょうね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。